Calm Balanceは、日常的な疲労や対人関係上の消耗、あるいは明確な理由を特定することのできない漠然とした不快感を抱えた利用者が、自らの現在の状態に短時間だけ注意を向け、その後の過ごし方を自ら選択するための契機を提供することを目的として設計されている。本サービスは、利用者の心理状態を診断し、特定の価値観に基づいて評価し、あるいは運営者が望ましいと考える状態へ誘導することを目的とするものではない。人が疲労や不快感を覚えた際に何を必要とするかは一様ではなく、同一人物であっても、その日の状況、身体状態、周囲との関係、残された役割等によって異なり得る。そのため本サービスでは、休息を含む特定の行動を普遍的な正解として提示するのではなく、利用者自身がその時点における希望を選択できる余地を確保することを、基本的な設計原則の一つとしている。これは、あらゆる判断を本人の自己決定のみに委ねるという意味ではない。身体的症状、健康、安全その他専門的判断を要する事項については、娯楽的表現や心理的な自己判断よりも、適切な医療その他の専門的支援を優先すべき領域が存在する。本サービスにおける自己決定の尊重とは、専門的介入の必要性を否定する概念ではなく、主として日常生活における感情の受け止め方やその後の過ごし方について、運営者が不必要に利用者の選択を代替しないという方針を意味する。
この方針との関係から、Calm Balanceでは、一般的な助言や励ましとは異なる、意図的に誇張された肯定表現を採用している。「疲れている状態」「失敗した状態」「十分な成果を得られなかった状態」等を直ちに改善すべき不足として位置づけ、その改善方法を提示することは、支援的な行為である一方で、利用者を新たな評価体系の内部に置くことにもなり得る。本サービスでは、そのような評価から一定の距離を確保するため、肯定表現そのものを日常会話の水準から意図的に逸脱させ、演劇的あるいは戯画的な強度を持たせている。したがって、これらの表現は利用者の人格、能力、外見その他の属性について客観的な評価を行うものではなく、また自己評価を特定の方向へ修正するための心理的技法として提示するものでもない。過剰であることが明らかな肯定によって、その言葉を文字どおりの査定として受け取らせるのではなく、一定の心理的距離を保ちながら「少し可笑しく、それでも少し嬉しい」と感じられる余地を生み出すことが、その表現上の意図である。同時に、本サービスにおけるユーモアは、利用者の苦痛、失敗、身体的状態、属性その他の個人的事情を笑いの対象とすることを目的としない。表現に戯画性を持たせる場合であっても、利用者自身の尊厳を娯楽化しないことは、Calm Balanceにおける重要な編集原則である。
人物写真の使用についても、その視覚的特徴のみを独立して扱うのではなく、サイト全体において果たす機能との関係から位置づけている。Calm Balanceでは、現実の日常会話とは一定の距離を有する、映画、広告、舞台等を想起させる演出的表現の一部として人物写真を使用している。そこに登場する人物の人種、国籍、年齢、容姿その他の属性について、特定の属性に価値上の優劣を設定すること、あるいは利用者が獲得・模倣すべき理想像として提示することを目的とするものではない。人物は独立した評価対象としてではなく、画面のこちら側にいる利用者へ言葉を向けるための表現媒体として配置されている。この構造は、本サービスが重視する「注意の方向」とも関係している。デジタル環境における人物中心のコンテンツでは、利用者の注意が画面内の人物、その生活、所有物、経験、意見等へ向かうことがある。Calm Balanceは、そのようなコンテンツのあり方を否定するものではない。一方、本サービスを利用する短い時間については、画面内の人物を体験の中心とするのではなく、その人物から利用者へ視線と言葉が向けられる構造を採用することによって、通常とは異なる注意の方向をつくることを試みている。人物写真が視覚的に大きな面積を占める場合であっても、本サービスにおける体験上の主体は写真の人物ではなく、利用者本人である。
もっとも、こうした表現がすべての人に同一の印象を与えるものとは考えていない。ユーモア、美的嗜好、人物表現、言語表現等に対する受容には個人差があり、ある利用者にとって心地よい表現が、別の利用者にとっては違和感を伴うこともあり得る。Calm Balanceは、その差異そのものを解消し、すべての利用者から同一の評価を得ることを設計上の目標とはしていない。本サービスの表現が自らに適合するか否かについても、利用する本人が判断できる余地が確保されていることが望ましいと考えている。そのため、表現に対する受容の差異を前提としながら、採用する表現の目的、機能および限界について運営者自身が認識し、継続的に検討可能な状態を維持することを重視している。個々の表現を無条件に固定するのではなく、同時に、あらゆる受容の差異を解消するために本来の設計意図を不明瞭化するのでもなく、その表現が何のために存在するのかを継続的に確認することが、本サービスにおける表現上の責任であると考える。
また、Calm Balanceでは、音楽、漫画、エッセイ、関連サービスその他のコンテンツを提供することがある。本サービスの継続的な運営に必要な収益活動と、利用者の注意を可能な限り長時間占有することとは、区別して検討されるべきものと考えている。閲覧時間、回遊率、再訪率その他の指標を運営上参照することはあり得るが、それらの数値を増加させることのみを理由として、利用者の不安、不足感、比較意識等を意図的に増幅し、次の閲覧、購買その他の行動を継続的に誘発することを、本サービスの基本的な設計方針とはしない。利用者が自ら選択した目的に応じて必要なコンテンツへ到達し、その目的が満たされた時点で容易にサイトを離れられることは、サービス上の欠陥ではなく、想定される利用形態の一つである。音楽を一曲聴いた後に家事へ戻ること、漫画を一つ読んだ後に端末を閉じること、文章を読んだことを契機として自らの経験について考えること、あるいは自身についてさらに考える必要を感じた場合に関連するサービスへ進むことは、いずれも成立し得る利用の帰結である。利用者がサイト外へ移行することを一律に否定的な「離脱」として捉えるのではなく、必要な体験を終え、自らの時間へ戻る行為として捉える視点を、運営上も保持したいと考えている。
この考え方は、SNS、動画配信、EC、広告その他のデジタルサービスに対する否定的な立場を意味するものではない。それらは情報取得、娯楽、交流、購買、自己表現等において多様な役割を果たしており、Calm Balanceもその価値を否定しない。一方、人が一日の中で向けることのできる注意や時間には限りがあり、現在のデジタル環境には、それらを自分以外の対象へ向ける機会が日常のさまざまな場面に存在している。本サービスが着目するのは、外部へ注意、時間あるいは金銭を配分する行為それ自体ではなく、その過程において、自らの状態や希望を確認する機会が相対的に少なくなる可能性である。したがって、Calm Balanceが試みているのは外部世界からの撤退でも、自己の内面だけに注意を集中させることでもない。外部へ向かう注意と自己へ向かう注意との間に、小さな往復可能性を確保することである。
この観点から、Calm Balanceにおける「Balance」は、常に静穏であること、活動を停止すること、感情を一定の状態に保つこと、あるいは外部刺激を排除することを意味しない。それはむしろ、自らの状態を一度確認し、その時点で必要とする行動を選択し、その後には再び日常生活へ戻ることのできる可動性を意味する。休息も活動も、内省も娯楽も、他者との交流も、それ自体によって一律に肯定または否定されるものではなく、本人が自らとの関係においてその距離を選択できることに意味がある。そのため、本サービスは利用者の心理状態の改善、自己肯定感の向上、疾病の治療その他特定の効果を保証するものではなく、また短時間のウェブ体験によって個人が抱える問題を解決できるとの前提にも立っていない。Calm Balanceが担おうとする役割は、それよりも限定的である。すなわち、外部へ向かっていた注意を一時的に自己へ向け、自らの状態を確認し、その後の時間をどのように過ごすかについて、本人が選択するための契機を提供することである。
以上の設計思想において、Calm Balanceが最終的に尊重しようとしているものは、利用者の時間、注意、選択、そして尊厳である。サービスが利用者の時間を長く占有したという事実だけをもって、その体験の価値が高かったとは判断しない。必要なときに利用し、必要なものを受け取り、必要がなくなれば離れることができること。そして、サイトを離れた後に続く時間が、再びその人自身のものとして使われること。Calm Balanceにとって、サイトの外側にある利用者の生活は、サービス体験の外部にある無関係な時間ではなく、本来尊重されるべき時間である。その関係性を損なわない範囲で、表現、コンテンツ、関連サービスおよび収益活動を設計し、運営することを、Calm Balanceの基本的な原則とする。
